スマートフォン解析

ジョニー大倉 矢沢永吉とはキャロル時代、不仲で確執あった?

ジョニー大倉さんは、かつて矢沢永吉さんと
ロックバンド・キャロルのメンバーとして共にしていました。

ジョニーさん

ジョニー大倉goface

その後俳優へと活動の幅を広げていったわけですが、
二人の仲が実際どうだったのか、について取り上げました。

THE PROFILE OF ACTOR

[芸名]ジョニー大倉
[本名]大倉 洋一
[生年月日]1952年9月3日(62歳逝去)
[出身]川崎市立川崎高等学校
[身長]172cm
[体重]67㎏
[血液型]AB型
[所属事務所]ジョニー大倉事務所

wikipediaはこちら
オフィシャルサイトはこちら

 

Sponsored Link

 

THE HISTORY OF ACTOR

高校卒業後、1971年に矢沢永吉らとロックバンド・キャロルを結成。「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの曲がヒットしたが、1975年に早くも解散。

その間の1973年には映画『番格ロック』で俳優デビューもしていて、1975年には『異邦人の河』で主演を演じた。

1981年に映画『遠雷』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞し、その後は音楽活動と並行して、ヤッサン系のドラマ・映画に出演してきた。

 

ジョニー大倉さんと矢沢永吉さんの二人が作詞作曲係であり、
その間でもジョニーさんは作詞、矢沢さんは作曲がメインだったそうです。

矢沢さん

矢沢永吉kinds

キャロルは当時一世を風靡するような勢いがありましたが、
その最中に解散をしてしまいました。

しかしながらこれにはやはり事情があったようです。

 

Sponsored Link

 

矢沢永吉に対しての不満、そして不仲と確執

ジョニーさんが生前、
矢沢さんに対しての不満を語っていたことがありました。

ジョニー大倉kiret

2013年にアルバム『アイ・リメンバー・キャロル・バイ・ジョニー』を発売した際、
キャロルの名曲「涙のテディ・ボーイ」と「夏の終り」

に対して矢沢さんの許可が下りなかったそうです。

これに対しジョニーさんは

「とにかく矢沢さんは“キャロルは俺のもの”という意識が強い」

というコメントを残しています。

 

また矢沢さんはキャロルのリードギターだった内海利勝さんと
37年振りに共演をするというサプライズを企画したのに、
ジョニーさんに対しては声を掛けることはなかったとか。

 

さらにこんな言葉も残しています。

ジョニーが俳優として売れ始めた頃

「ジョニー、いくらギャラもらってんだ」

という質問をされたことに対して、

「相変わらず金にうるせえオヤジなんだなって思ったね」

 

ジョニーさんとしては、自分も作詞作曲をしていたし
貢献していたから、キャロルが上げた利益については
もう少し自分にも分け前があって良いはず、と思っていました。

しかし、矢沢さんはキャロル解散後もキャロルの肖像権や
商標の管理をして利益に繋げたり、上手にやっていたのです。

これはジョニーさんも合意の上でのことだったのですが、
何だか上手くやり込められたという印象だったのでしょう。

「矢沢さんには美味しいところを全部持っていかれた悔しさがあるかな……」

と語っていたようです。

 

この辺りからだけで判断すると、
矢沢さんは金に汚いしちょっと酷い人なのかな、
という印象にもなってしまうかも知れません。

しかしながらジョニーさんのキャロル時代の振舞いを考えたら、
むしろジョニーさんの方が悪いと考える人がほとんどです。

「キャロルの解散、長年の確執の原因は、矢沢がキャロルの実権を握ったのをジョニーが恨んでいるからだが、バンドの中期にジョニーが○ラッグ依存で失踪、生活に破綻を来すなど、バンドに多大なる迷惑をかけた。それでも、矢沢はジョニーの音楽性を高く評価していたが、最後はジョニーが不満を爆発させて活動わずか3年で解散。ジョニーはしばらくおとなしくしていたが、矢沢にキャロルの権利関係を押さえられて納得いかなかったようで、03年に『キャロルは矢沢だけのものじゃない。(メンバーの)3人(ジョニー、内海、ユウ岡崎)は矢沢のバックバンドじゃない』と発言して反撃ののろしを上げると、以後2冊の“暴露本”やメディアで矢沢バッシングを繰り返してきた。

引用元:日刊サイゾー記事より

これは確かにちょっと頂けないでしょう。

 

ちなみにこの人とはチンピラコンビとして映画に出演しました。

柴田恭兵、舘ひろしとは危ない刑事コンビで仲良し。でもチンピラ?

 

バンドを活動していた当時からジョニーさんは
バンドに迷惑を掛けていた挙句、自分の権利だけは
ちゃっかり主張していてうるさくしていたため、
矢沢さんを始めとする他のメンバーとの確執が広がっていったわけです。

ただその一方で作詞センスや音楽性は
抜群であったのも事実であるようですが。

何だか、もったいない話だなとは思いますけどね(^-^;

 

◆△■△◆△■△◆△■△◆△■△◆

まあ個人的な感想としては、やはりジョニーさんは
自分が損をしているという感覚をすごく嫌う人だったんだろうと思います。

ですから、

「例えば自分と同じことをしているのであれば、あいつも同じ分け前であるべきだ」

という考え方です。

まあこれ自体はわからなくはないですが、
自分がやってきたマイナス面をその評価として含んでいないので、
そこは完全に自分の独り善がりになってしまっていると思います。

結局その辺りも含めば、矢沢さん側してみれば

「俺の方が分け前が多くて当然」

と考えるのは自然なことだと思います。

 

逆にもしジョニーさんがバンドにとって
ただただ欠かすことのできない宝のような存在であり、
そして何も迷惑を掛けていなかったとしたら
矢沢さんは間違いなく自分からジョニーさんをどんどん誘ったし、
分け前もなるべく公平にすることを考えたでしょう。

もちろんそのときは解散そのものもなかったかも知れませんが。。。

さらなる俳優的存在

Sponsored Link




コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ