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北村総一朗の若い頃の画像が意外!嫁の支えが現在まで元気な理由?

北村総一朗さんと言えば、大ベテラン俳優としてとても良い味を出されていますね。

ここでは、北村総一朗の若い頃の意外な見た目と、嫁である磯辺万沙子さんとのエピソードを中心に取り上げていきます。

THE PROFILE OF ACTOR

北村総一朗笑顔画像des

[芸名]北村総一朗(きたむらそういちろう)
[生年月日]1935年9月25日
[出身]高知県高知市
[身長]172cm
[体重]71kg
[血液型]A型
[所属]劇団昴

wikipediaはこちら

THE HISTORY OF ACTOR

1961年(25歳)のときに文学座に研究生となり、1965年(29歳)2~5月の『光る海』でテレビドラマ俳優デビュー。

その後も定期的に役を得るが、大ブレイクには至らず還暦を迎える。しかし1997年(62歳)踊る大捜査線』の神田署長役が大ヒットとなり、一躍時の人となる。役者として新たな境地を開拓した北村総一朗は、その勢いを保ちつつ現在に至る。

 

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北村総一朗の若い頃の画像が意外!

北村さんは、若い頃は今とは違い、もっと爽やか・二枚目キャラ役を演じることが多かったようです。

現在すでに80歳を越えていらっしゃるわけですから当然と言えば当然ですが、それにしても最近の若い人達からすると少しイメージするのが難しいところなのではないでしょうか。

北村総一朗スリーアミーゴス2

 

これは昭和50年に『スタア』の舞台に出演した際の画像です(当時25歳)。

北村総一朗の若い頃画像

上の右から三番目になります。

まさかあの可愛い(あるいは怖い)お爺さんが溝端淳平似のイケメンだったとは・・・・って感じですね。

溝端淳平matorm
※溝端淳平くん

実際、当時は爽やか系の役のお仕事がたくさん来ていたそうです。

しかし北村さんの最近の有名な役どころとしては踊る大捜査線シリーズの神田総一朗署長であったり、アウトレイジの山王会会長役であったりするのですが、この二つの役は爽やかさとは掛け離れています。

神田署長は若干天然の入ったコメディーキャラであるのに対し、山王会長の方では凄みと迫力がある大物キャラ

しかしながら、これらはどちらも視聴者に何らかのインパクトを与えるような雰囲気(存在感)が出されており、下手したら主役を食ってしまうのではないかと思えるほどです。

 

北村総一朗スリーアミーゴス
※神田署長(中央)

 

北村総一朗アウトレイジ
※山王会長

 

つまり、北村さんは本来メインでやっていたタイプの役柄、あるいは本来の自分の性格と違う役柄であっても自分なりの味を出して魅力的にしてしまうことができるわけですね。

これはまさしく北村さんの役者としての実力であると思います。

ちなみに、可愛くて愛嬌のある北村さんを観たい方は踊る大捜査線シリーズを、怖くて迫力ある北村さんを観たい方はアウトレイジを鑑賞すると良いですよ。作品そのものも面白いので、お勧めです。

 

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嫁の支えが現在まで元気な理由?

北村総一朗さんは明らかに昔かっこよかったし実際モテたらしいのに、若い頃に結婚されることはありませんでした。

しかも昔は結婚が当たり前の時代だったのに不思議ですね。

しかしそんな北村さんも、50歳を越えてから結婚をする決意を固めました。

何故なら、理想の相手と巡り会えたからです。

そのお相手は、磯辺万沙子さん。

磯辺万沙子bibou
※磯辺万沙子さん
磯部さんは北村さんと同じ事務所である劇団昴に所属するタレントですが、一つの出来事が二人の距離を急激に縮めるきっかけとなりました。

それは北村さんが急性肝炎を患ったことです。

磯部さんはその頃、北村さんの近くに住んでいたこともあり、北村さんを看病するために毎日病院を訪れたそうです。

そしてなんとプロポーズの場所も病院のベッドだったとか。

やはりもともと同じ事務所に所属していたことでお互いをよく知っていたことも当然あると思いますが、それにしても入院中にプロポーズとは、よほど磯部さんの看病に好意を抱いたということですね。

自分がこの先、老いてたとえ寝たきりになっても、この人はきっと献身的に看病してくれるだろう。

そう感じたのだろうと思います。

実際、二人の絆はとても深いもので、結婚から何十年にもなる今ですらまるで付き合い立てのカップルのように夜寝る前に必ずお休みを言い合うそうです。

仕事等で離れていたら、電話をしてでも言うそうです。

それが夫婦として円満であり続ける一つの秘訣だとは思いますけどね。

 

がんの時期も支えに

実は、北村さんは2013年に前立腺がんを患っています。

そのときのがんのステージは4で、いわゆる末期がんです。

5年生存率が30%とも言われるほど深刻な状態にまで進行したがんで、北村さんも最初宣告されたときはショックでその頃の記憶がほとんどないのだそうです。

治療のために前立腺を全摘出し、しばらくの間仕事を休むこととなります。

それでも、翌年の2014年には職場復帰を果たし、幸いにも現在(2017年9月)まで再発もありません。

そしてこのときも、磯辺さんは北村さんに対して献身的な看病をし、同時に心の支えとなっていたそうです。

恐らくですが、北村さんががんを乗り越えることができたのも磯辺さんの存在があったからなのではないかと私は思います。記憶を飛ぶほどのショックですから、誰かの支えがなければとても乗り越えられないと思いますからね。

 

2014年、とりあえずがんの治療が終了した際にはブログに

「奥さんと二人、鰻を食べて、祝杯をあげた」

という言葉を残している当たりにも、どれほど特別な存在なのかが伝わってくるのではないでしょうか。

 

磯辺さんの若さが決め手ではなかった?

磯辺万沙子さんは1957年5月14日生まれ

22歳も年が離れていますから、当時はまだ20代だったわけですね。

やはり男はいつまでも若い女性に魅力を感じるものだと思いますから、この若さも一つの動機になったのではないかと私は勘繰っていますが(笑)

ですが、すでに磯辺さんも還暦を迎えているのにも関わらず、変わらない愛情を持って接しているところを見ると、そうではなく、純粋に中身で判断したのかも知れません。

さすが名俳優だけあって、女性を見る目も抜群であったということなのではないでしょうか。

 

さらなる俳優的存在

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