仲代達矢の若い頃と娘が似てない理由、無名塾の成立ちとは
昭和の名俳優の一人として必ず名前を挙げたい仲代達矢さん。
まだまだ現役バリバリで活躍していらっしゃいます。
THE PROFILE OF ACTOR
[芸名]仲代達矢(なかだいたつや)
[生年月日]1932年12月13日
[出身]東京都目黒区
[身長]178cm
[血液型]B型
[所属事務所]無名塾wikipediaはこちら
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THE HISTORY OF ACTOR
東京都立重機工業学校を卒業後、しばらくは定職に就かずアルバイトで生計を立てていたが、 少し興味のあった俳優座公演を観劇した際に千田是也の演技に感動し、1952年(19歳)のときに俳優座養成所に第4期生として入所した。
1954年(21歳)『七人の侍』で映画デビューも、セリフなしで数秒間出演エキストラ役であるにも関わらず監督の黒澤明から散々な罵声を浴びせられ、大変ほろ苦い思い出となる。
1955年(22歳)で養成所を卒業、俳優座に入団。この頃は初舞台こそ経験していたもののまだそれだけでまともに生活できるほどではなく、バイトと掛け持ちでの活動が続いていたが、1956年の映画『火の鳥』で月丘夢路の相手役に抜擢され、そこから本格的に売れ出す。
その後は小林正樹や過去に貶された黒澤明といった昭和の名監督からも重宝がられるようになり、主演・脇役問わず大変存在感のある役者となっていった。
20代前半という比較的早い段階で売れ始めたので、やはり実力があったんでしょうね。
にしても、黒澤監督は一つ間違ったら才能の芽を摘んでしまうところだったようですが(笑)
ここでは、そんな仲代さんのプライベートと、仲代さん自身が開設した現在の所属事務所である無名塾について取り上げていきたいと思います。
仲代さんの家族事情
仲代達矢さんの奥さんは女優であり、脚本家の宮崎恭子さん。
1957年(24歳)、ちょうど売れ始めた時期に結婚をされました。
馴初めは俳優座で苦楽を共にしたこと。
恭子さんは1996年に65歳で亡くなられていますが、離婚の多い芸能人でありながら最後まで連れ添ったので、よほど深い絆が培われていたのだろうと思います。
仲代さんの若い頃と娘が似ていない理由
仲代さんには一人の娘さんがいます。
それは女優の仲代奈緒さん。
やはり両親が役者ですから、それに感化されて自分も・・・とはなりますよね。
見た目ももちろん綺麗な方ですが・・・。
ですが、父親である仲代達矢さんの若い頃にはあまり似ていないですね。
母親の宮崎恭子については、テレビで活躍された方ではないことから画像が見つからなかったのですが、こちらには少し似ている可能性はあります。
これには明確な理由があります。
実は、奈緒さんは養子なのです。
それも、宮崎恭子さんの妹である、宮崎総子さんの子供になります。
実際、奈緒さんと総子さんはかなりよく似ています。
※若い頃の宮崎総子さん
ですから非常に複雑な関係なのですが、どうやらこれは実母である宮崎総子さんが夫であった山川建夫さんと離婚したことと関係があるようです。
もちろん、いくら旦那と離婚したといってもだから子供を手放そう、というのは理屈としてかなりおかしく感じます。
それも総子さんは売れっ子アナウンサーだったので、収入的に余裕がない、ということもなかったのです。
さらにその後もバリバリ働いていたところから察すると、結局、アナウンサー同士のできちゃった結婚で、結婚もしたくなかったし子供は欲しくなったのではないか、そして子供よりも仕事を優先したのではないかと捉えられてしまうのも無理もないのではないかと思います。
奈緒さんと総子さんの関係
しかしながら、実のところこの裏には確かな事情があったようです。
実は仲代さんと恭子さんの間には子供はおらず、姉の恭子さんは「仲代家が絶えてしまっては申し訳ない」と悩んでいました。
その姿を見た妹の総子さんが、自身が離婚したこともあって自分の子供を授けることを考えたのです。
ただこれは戸籍上の話であって、総子さんは仲代家で一緒に住むことによって母親としてもしっかりと役割を果たしていたようです。
奈緒さんも実母の総子さんをママ、養母の恭子さんをネエネと呼んで、どちらにも慕っていたとのこと。ですから当然ながら確執もなく、過去の番組でも普通に番組で共演も何度もしています。
宮崎総子さんは2015年に71歳で亡くなっていますが、そのときの喪主も奈緒さんで、仲代さんも絶句するほどショックを受けており、それだけ慕われていたのだろうと思います。
私も最初養子という形式に対しての思い込みから勘違いをしていたので、正直なところ総子さんに対してあまり良い印象を持っていませんでした。
※情報を提供して下さった方、本当にどうもありがとうございました。
無名塾の成立ち
仲代達矢さんはもともと劇団俳優座に所属していましたが、1975年(42歳)に無名塾という俳優養成所を立ち上げ、1979年(46歳)からはそこに籍を移す形となりました。
しかしながら、一俳優にとってみれば大手の芸能事務所を退所して個人でやっていくというのは、基本的にはメリットよりもデメリットの方が大きくなります。ではなぜ仲代さんはわざわざリスクを背負って無名塾を立ち上げ、そして移籍したのでしょうか。
もともとの始まりは、仲代さんの元に俳優の卵たちが演技を学びたいと集まったことでした。
仲代さんはこのとき、自分が若い俳優志望者達を育て上げることで業界を活性化できると考え、さらに追加で生徒の募集を掛けたのです。
ただ、
入ったからには必ず一人前にする
というポリシーに基いての設立であったために、人数は少数であり、競争率の非常に高い養成所となりました。その結果「劇団の東大」と呼ばれるほどの業界における地位を獲得したため、芸能事務所としても劇団俳優座から独立してやっていく目途が立ったのです。
つまり、わざわざリスクを取ったのではなく、それだけの十分な規模に至ったために移籍したということですね。
ちなみに、この無名塾は俳優座から独立した株式会社仕事によってマネジメントされているため、仲代さんは無名塾に移籍した後でも俳優座との関係がそれほど気まずくなるということはなかったようです。であれば、利益の割り当ては増えるしメリットが中心になってきますから、逆に移籍しない手はない、という状況だったと思われます。
しかし若手俳優を育成し業界に貢献するという原点に対し忠実にやって来られているのは紛れもない事実であり、現在も変わらず尽力されています。ある程度組織が影響力を持つようになるとどうしても利益を優先したくなってくるものですが、そんな中決してその養成所のスタイルを変えない仲代さんからは非常に強い信念を感じられますね。
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