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柳浩太郎が大事故からテニミュに復帰。障害役者とは

柳浩太郎さんは、若手男性俳優集団『D-BOYS』のメンバーとして活動しています。

柳浩太郎EIIWOWQ

 

プロフィール

芸名:柳浩太郎(やなぎこうたろう)
生年月日:1985年12月21日(30歳)
出身:西ベルリン
身長:165cm
体重:49㎏
血液型:A型
事務所:ワタナベエンターテイメント
柳浩太郎wikipediaページを参考にしています。

ブログはこちらです。

柳浩太郎オフィシャルブログ

 

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自らを障害役者と名乗る、柳浩太郎さん。

彼はもともと、ダンサーを目指していた活発な少年でした。

2002年にSMAPの中居正広さんに憧れてアイドルを目指し、
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに参加します。

そこでは惜しくも落選してしまったのですが、
現在の所属事務所のスカウトに声を掛けられ、
入所し柳浩太郎さんの芸能人生がスタートしました。

柳浩太郎IEMROWS

その翌年の2003年、『ミュージカル テニスの王子様』
の越前リョーマ役のオーディションを受け、見事その役を勝ち取ります。

そのミュージカル(テニミュ)は大変好評であり、
もう第二弾の開催がすぐに決まったといいます。

まだ俳優デビュー二年目であるというのにいきなりの舞台抜擢、
そしてその演技がはまり高評価と、これ以上ない
最高のスタートを切ったかに思われました。

 

彼にとっては、本当に言葉通りまさにこれから、という時でした。

この日、まさかこのような形で彼の運命が転換しようとは、
誰が思ったことでしょうか。

 

2003年12月14日。

舞台の稽古帰りに乗用車と接触し、
20メートル近くも飛ばされ頭部を強く打ち付けたのです。

 

柳浩太郎さんは、意識不明の重体となりました。

医師からは「意識がもう戻ることはないかも知れない」
と言われていたといいます。

 

それでも彼はその事故から三週間後、意識を取り戻しました。

 

しかし、以前のような状態に、というわけにはいきませんでした。

右半身麻痺・記憶障害・高次脳機能障害・声帯損傷
などの重い後遺症を抱えていたのです。

 

医師からは「一生寝たきりかも知れない」との言葉。

お父さんに対して「俺、治るよね」と何度も何度も、
壊れたテープレコーダーのように同じ言葉を繰り返しました。

それに対して、「必ず治るさ、絶対に」
と返事をしたお父さんの姿に、私は強く胸を打たれました。

 

このお父さんの想いも、柳浩太郎さんが自身の未来において
奇跡的な回復を実現するための、とてつもなく
強靭な意志に繋がったことは間違いないだろうと思います。

 

しかしながら現実は、医師から「一生寝たきりの可能性がある」
と言われているほどであり、麻痺も取れず、
体の機能はなかなか回復しませんでした。

 

そうこうしてる内に流れる月日。

柳浩太郎さんはこの頃は精神的にとても辛かった、と語っています。

もちろん、それは察するに余りあることです。

 

そしてここで、有名なダンサー・俳優になるという
将来の夢が絶たれたかも知れない、という思い以上に彼を苦しめたのは、
自分が孤独になってしまったのではないか、
という思いであると語っています。

携帯に入っている人物たちの中で、健康な時は
頻繁にメールが来てたのに障害を背負う身になった途端に
連絡をしなくなった人たちもたくさんいたからです。

自分はもう世の中にとって、必要な人物ではないのではないかという。

 

ここで、彼にこれ以上ないほどの
人生を生きるバイタリティーを与えたのは、
テニミュメンバーからの応援メッセージでした。

テニミュで知り合った、掛け替えのない仲間たち。

 

とにかく、明るく。
浩太郎が元気になるようにと。

これを観た時、柳さんは声を上げて子供のように泣いたそうです。

 

≪d☆boys d☆dateの仲間ももちろん支えとなったでしょう≫

d☆date柳下大の弟は三浦翔平?ちびたんブログ他

 

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障害役者として人生を全うする

そこから、自分がその場に戻りたいという気持ちが極限にまで高まって、
信じられないくらいの強い意志で彼はリハビリをしました。

その頑張りには、お母さんやお父さん、
その他関係者も本当に驚いていた様です。

 

 

そして事故から約一年後の2004年12月29日。

ついにその日が訪れました。

柳浩太郎tennimyu

テニミュの復帰舞台です。

もはやあのような重度の後遺症があったことが
信じられないくらいの声量で歌を歌い、
そして見事な佇まいを見せていました。

 

そしてそれはそれを観た人全てを感動させ、
間違いなくこれまでで最高の舞台となったのです。

もちろん、その道のりは生半可な物ではなかったでしょう。

それでも決して諦めない姿勢があったからこそ、
実現した奇跡なのだろうと思います。

 

こちらは柳浩太郎さんの現在までの軌跡を描いた、
ドキュメンタリー番組の動画です。

僕は障害役者

障害者であるという事実を、決して否定的にではなく

前向きに受け止めていて、逆に強みにしてやろう

くらいの気持ちを感じますね。

 

ダーリン

ダーリンとは、同グループ『D-BOYS』
の元メンバーである遠藤雄弥さんのことです。

遠藤雄弥SIKAENEMWO

柳浩太郎さんは遠藤雄弥さんのことをダーリンと呼んでいて、
その理由は何と言っても、遠藤さんとの深い絆です。

 

『D-BOYS』において、柳さんはサブリーダー、
遠藤さんはリーダーを務めていました。

そして、舞台『テニスの王子様』では柳さんが出演出来なかった時に、
代わりに越前リョーマを演じていました。

 

柳さんは遠藤さんに対して本気で感謝しています。

遠藤さんは2012年9月17日に『D-BOYS』を脱退していますが、
彼はもともともっと前から脱退する意向だったが
柳さんのためにそれまで残っていたところがある様です。

二人はそれだけ強い絆で結ばれていて、
もはやある意味、愛人以上の関係となっているように思えますね^^

 

柳浩太郎さんは、テニミュの舞台が終わった今も
全く変わらずリハビリの努力をしているため、
どんどん体を動かせるようになってきています。

 

どんな状況になろうと、決して自分に妥協を許さない。

彼の挑戦すること、そして生きることに対する姿勢は、
間違いなくこれからも、それを見る人に対して
大きな勇気や希望を与えることとなるでしょう。

さらなる俳優的存在

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