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佐藤浩市、志田未来との関係って?父とは不仲で確執か

超売れっ子俳優の佐藤浩市さん。

佐藤浩市karni

佐藤さんと女優・志田未来さん、
父であり、俳優の三國連太郎との関係について取り上げました。

THE PROFILE OF ACTOR

[本名]佐藤浩市(さとうこういち)
[生年月日]1960年12月10日(55歳)
[出身]東京都新宿区
[身長]182cm
[体重]67kg
[血液型]A型
[所属事務所]テアトル・ド・ポッシュ

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THE HISTORY OF ACTOR

三國連太郎という名俳優を父として生まれる。その後父はいなくなったが、父と同じ役者の道を志す。

多摩芸術学園映画学科に進学し、1980年にNHK『続・続事件』でいきなり主演として俳優デビューを果たした。翌年の1981年には映画『青春の門』にてブルーリボン賞新人賞を獲得し、早くもメジャー役者となる。

 

志田未来との関係って?

佐藤浩市さんと、人気女優・志田未来さん
との関係について気になってる方が多いようです。

志田未来chidish

その理由は、共演回数がやたらと多いから。

  • テレビドラマ 『サプリ』(2006) 『ブラックボード』(2012) 『鍵のかかった部屋』(2012)
  • 映画『誰も守ってくれない』(2009)

と、4作も共演しています。

『サプリ』では親子関係を演じていて、
『ブラックボード』と『誰も守ってくれない』では
佐藤さんが主演ですし、志田未来さんも主要な役どころを演じています。

それもあってか、二人のコンビはかなり意気が合うとして
たいへん評判が良かったりします。

 

[コンビと言えば、この人たちは歴史に名を残しましたね]

柴田恭兵、舘ひろしとは危ない刑事コンビで仲良し。でもチンピラ?

 

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父とは不仲で確執か

佐藤浩市さんの父親である三國連太郎さんは
昭和の名俳優として第一線で活躍されていた方です。

三國連太郎jiisan

ですから本来であれば尊敬すべき人物であるはずなのですが、
佐藤さんはそんな父のことを全然好きでなかったとのこと。

その理由は、佐藤さんが小さい頃、三國さんは家出をしてしまって離婚、
その後は母親の手によって育てられたからです。

そして、それから三國さんは再婚しているわけです。

それだけに飽き足らず、三國さんはなんと4度も結婚をしています。

こうなってくると、これは基本的に
相手に問題があったというわけではないでしょう。

単純に自分の感性に任せて人生を生きていたわけですね。

 

そんな父を自分勝手であると考えていたのですが、
自身も俳優の道へ進みブレークすると、共演の機会がやってきました。

佐藤浩市mimige

 

始めて共演した1986年の映画『人間の約束』
では、接する機会が多くなく話題性もほとんどなかったのですが、
1996年に公開された映画『美味しんぼ』にて再共演を果たしました。

この映画での制作会見にて、お互いを[苗字・さん付け」で呼び合い、
よそよそしい雰囲気を出していたかと思えば、
佐藤さんの「俳優はサービス業」という発言に対し三國さんが

「サービス業などという考え方は間違っている」

と食って掛かり、場の空気が非常に悪くなったそうです。

 

佐藤さんは、家族を捨てて出て行った無責任な父親に
自分の考えを否定されて、きっと腹立たしく感じたでしょう。

もちろん俳優としては尊敬していたでしょうが、
やはり同時に父を認めることは自分たちを捨てた行為
そのものを認めることになる、とも感じるかも知れませんし。

この辺りは憶測にはなりますが。

 

しかしその後、2008年ANA全日空のCMにて再度共演し、
その時の様子は非常に感慨深いものがありました。

これを見ると、二人の役者が演技をしている、
という事実を超越した様々な感情を感じますよね。

これが佐藤浩市・三國連太郎という
それぞれの人間における、人生の集大成であるかのような。

二人のリアルな人生の背景をイメージしてCMをみると、
シンプルな内容であるにもかかわらず
自然と涙が出てくるほどに訴えかけてくるものがあります。

 

三國さんの逝去

三國連太郎さんは2013年4月、90歳でご逝去されました。

ANAのCMから5年後のことです。

喪主は佐藤浩市さんが務めたのですが、
三國さんは佐藤さんに対し、病床で遺言を残しました。

 

「戒名はいらない」
「散骨して誰にも知らせるな」
「三國連太郎のままで逝く」

三國さんは、病床で佐藤にこんな言葉を遺していた。4月17日に、静岡県沼津市の自宅で行われた葬儀では、遺言通り、位牌には、戒名でも、本名の「佐藤政雄」でもなく、「三國連太郎之霊位」とだけ綴られ、密葬形式で行われた。しかし、佐藤はひとつだけ遺言に背いた。引用元:ニュースポストセブン記事

 

佐藤さんは父親の希望通りの散骨ではなく、納骨する決断をしたのです。

佐藤浩市hunik

その背景には、意地っ張りな父親を一人にしたくないという思いと、
実母が三國さんと同じ墓に入りたいと言ったときに対応できるようにしたと考えられています。
(本人が口にしたわけではないですが)

しかしながら一方で、最後に連れ添った三國さんの妻が
佐藤さんの実母が墓入りした場合に入れなくなるということで、
ここにまた新たな確執が生まれてしまったとのこと。

 

私の考えとしては、

「みんな一緒に入ってしまえば良いのではないか」

なんですが・・・。

三國さんも、こうなったらきっとそれを望んでいるだろうと思います。

もしかしたら、佐藤さんも。

 

「“しゃらくせえ”と思うのか、微笑んでいるのか、彼がどう思うかわからないけど、役者らしい送り方はできました」

佐藤さんが三國さんの遺影の前で口にした言葉だそうです。

何だかんだで、佐藤さんは父親を許していたし
良くも悪くも彼の人生そのものを受け入れていたのだろう、と私は考えています。

さらなる俳優的存在

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